尾瀬

尾瀬の現状と取り巻く課題

尾瀬は歌にも歌われ、小学校の教科書でも取り上げられるなど、その名は知らない人がいないと言っても良い位です。しかし、観光客による自然破壊をはじめ、国立公園尾瀬の環境は危機的状況にあります。

尾瀬湿地の保全は、「緑の地球防衛基金」の活動の原点でした。当基金は、「尾瀬を守る会」の事務局を務め、加盟団体であるNPO法人尾瀬自然保護ネットワーク、福島県自然保護協会、尾瀬自然保護指導員福島県連絡協議会、全国山林保護ネットワークとともに、尾瀬の自然を守り、後世へ残す活動を続けています。

ここでは、1.当基金と尾瀬の係わり、2.尾瀬国立公園の特長として、全地域が「特別地域」として保護されていること、3.生き物の博物館であること、4.一方で尾瀬が抱える多くの悩みや課題として、①少雪と温暖化、②シカの食害、③外来植物の繁茂、④ゴミの不法投棄など昭和の負の遺産問題、⑤国立公園満喫プロジェクトの問題などが生じていることを紹介します。(2021年8月)

1.当基金と「尾瀬」の係わり

戦後の高度成長期、日本中で国土開発が進められる中、尾瀬を縦貫する「観光有料道路」計画が提起され、工事が開始されました。この計画に対して反対運動が盛り上がり、当時の大石武一環境庁長官の英断により、観光道路建設が阻止される成果を生みました。本年2021年は、この観光道路建設中止の判断から50年目の節目の年です。

その後、緑の地球防衛基金の会長となった大石武一元環境庁長官に対して、「尾瀬の自然を守る会」の内海廣重代表より、尾瀬湿原汚染対策のリーダーシップを要請され、熟慮の結果、1986(昭和61)年、当基金内に「尾瀬を守る懇話会」事務局が設置されました。

尾瀬を守る懇話会が環境庁に提言を提出。中央が大石武一会長(当時)

この「尾瀬を守る懇話会」は24名で構成され、大石会長と門司正三東大名誉教授(植物生態学)が代表世話人となり、全体会議や小委員会など「提言」のための議論が重ねられ、1988(昭和63)年5月に、『尾瀬を守るための提言』を環境庁自然保護局長に手渡すとともに、大石会長から堀内俊夫・環境庁長官(当時)に積極的な対応を講じて欲しい旨の要請が行われました。

さらにその後も大石会長、河野洋平副会長(当時)等が、歴代環境庁長官に提言の実現を要請するなど再三にわたって働きかけを行い、提言の提出から8年後の1995(平成7)年8月には、提言の一つに謳われた「尾瀬保護財団」の設立も実現し、尾瀬の自然を保護する基盤が整いました。

これを機に「尾瀬を守る懇話会」は解散をし、1995(平成7)年に「尾瀬を守る会」が設立され、今日に至っています。

2.尾瀬国立公園の特長①―全地域が特別地域として保護されていること

尾瀬国立公園は、2007年に指定された第29番目の国立公園(面積3万7,222㏊)であり、福島、群馬、栃木、新潟の4県に跨がって位置しています。

尾瀬国立公園は、自然保護の規制が弱い「普通地域」は全くなく、全地域が「特別地域」に区分され、自然の保護が義務付けられています。全地域が特別地域という国立公園は、尾瀬を含め知床、白山など5か所あります。その共通点は、寒冷・豪雪の気象、高山や亜高山帯地域という、脆弱な自然環境の地であり、人的な被圧に極めて弱く、それ故に特別に保護が必要な地域です。

特別地域のうち、更に貴重な自然環境地域を「特別保護地区」に指定しています。この特別保護地区には、尾瀬ヶ原(標高1,400m)や尾瀬沼(標高1,660m)、至仏山などが含まれています。また尾瀬は、1960年に特別天然記念物に指定され、文化財保護法など法的措置により厳格に管理されています。

さらに尾瀬国立公園の燧ケ岳、田代山から福島県北部、只見町(浅草岳)に至る森林ゾーンは「奥会津森林生態系保護地域」に指定され、保護されています。尾瀬国立公園と部分的に重複するこの保護地域は、原生的な森林生態系であり、広さは世界自然遺産の白神ブナ林の約5倍になります。国内どころか、世界的に見ても重要な「自然度」が濃密な地域と言われ、国内最大の「保護ゾーン」に尾瀬は立地しています。

尾瀬ヶ原-下ノ大堀川(6月)
至仏山の残雪とミズバショウの群落を見ることが出来ます。
尾瀬オヤマ沢田代(7月)
ワタスゲは果穂になり夏本番を迎え、次の主役はニッコウキスゲにバトンタッチされていきます。
秋の尾瀬沼・燧ヶ(ひうちが)岳(だけ)〈10月〉
錦秋の季節は短く、11月には降雪を迎えます。鏡のような湖面は瞬く間に吹雪の季節に変わります。

3.尾瀬国立公園の特長②―生き物の博物館であること

尾瀬は生き物の宝庫と呼ばれています。

尾瀬地域に生息する植物相は、北方系(主に氷河期の遺存種)はじめ、南方系、日本海型など、国内で同定されているシダ以上の高等植物種の2割近くが確認されるなど、まさに植物の宝庫となっています。オゼコウホネのように尾瀬で発見され「オゼ」という和名や学名の付いた動植物は30種類以上もあります。

上.ニホンカモシカ(鳩待峠5月)
下.オコジョ(尾瀬沼周辺8月)

第1次尾瀬学術調査時点(1950年)には、約650種の植物が確認されましたが、その後、新たな種の生息確認や新種の発見もあり、植物相は1,600種近くが生息しています(正確には2017年~2019年に実施された第4次尾瀬学術調査で明らかになると思われます)。トンボやチョウも多く生息し、国内の3割近くの種数が確認されています。また昆虫の新種も相次いで発見され、最近では「オゼマダラモンヌカガ」という「オゼ」の和名が付けられた昆虫が発見され新種と認められました。

生息する生きものの種数が多いということは、それだけ尾瀬では複雑な生態系が維持されていることを意味します。生きものの多様性、景観の多様性には目を見張るものがありますが、自然と生きものが織りなす絶妙のバランスは、わずかな環境変化でも大きなダメージを受け、致命的な破壊にまでつながりかねません。

希少種の宝庫であり、特別天然記念物である尾瀬は国民の共有財産です。この貴重な財産を、将来受け継ぐ権利を有する後世の人々(孫やひ孫)にそのまま残すことこそ、我々の責務と思われます。

4.尾瀬が抱える多くの課題

山紫水明の地、生きものの宝庫と称される尾瀬ですが、多くの悩みや課題を抱えています。

お目当ての季節に押し寄せる、「ハイカー集中」の問題は、一時期より入山者数が減少した現在でも変わりません。ほかにも主立った「悩みごと」として、①少雪と温暖化、②シカの食害、③外来種の侵入、④ゴミの不法投棄などの「昭和の負の遺産」問題などがあります。

①少雪と温暖化

尾瀬には寒冷な気候を好む北方由来の植物や日本の固有種、高山植物が多く生息しています。つまり冷温かつ多雪の条件が欠けてしまうと、生息することが極めてむつかしくなります。しかし、昨今、少雪と温暖化が進行しています。

檜枝岐村の過去30年間の平均降雪量 年1,200cm
雪のない大江湿原(2016年5月5日撮影)。例年この時期、大江湿原の残雪は1m以上ありますが、2016年はゼロでした。雪解けが早いと高山植物への影響に加えて、シカの移動開始が早まるので、残雪状況を注視していく必要があります

<2020年尾瀬-主な気象記録>
(観測地点/山の鼻/標高1,400m)

〇最高気温-33.2℃(8月20日)
(第1位タイ記録。2018年7月19日に観測した33.2℃に並ぶ、観測開始以降の最高気温を示現)

〇8月夏日日数-過去最高の28日
(2020年8月の気温は高温状態が続き、夏日日数が28日に達する)

〇2020年夏日日数-過去2位の46日
(2018年の夏日日数52日に次ぐ46日を示現)

先ず降雪量ですが、「特別豪雪地帯」に指定される檜枝岐(ひのえまた)村の降雪量は、過去30年間の平均で約1,200㎝であり、1990年代後半には2,000㎝を超えることもありました。しかし、最近の降雪量は極度に少なく、2016年は696㎝、2020年は826㎝、2021年は993㎝に止まっています。

また、気温は冬期、夏期とも上昇傾向です。尾瀬の夏日(日最高気温25℃以上)及び真夏日(日最高気温30℃以上)の発生日数は、右肩上がりです。尾瀬では数年前まで「真夏日」の記録はほとんどありませんでしたが、2016年以降急速に増加しています。

地球温暖化は、一つ一つの気象変動を激しくし、風、雪、雨の降り方まで変え、それに伴い植生、生物分布、生態系にも大きな変化をもたらします。「少雪と温暖化」を引き続き注視していく必要があります。

②シカの食害

1980年代に入ると、全国的にニホンジカの爆発的増加による農業、林業、牧畜の被害が顕著に現れはじめました。80年代後半にはシカ害は勢いを増し、亜高山帯や湿原まで入り込みが始まりました。尾瀬においても1990年代前半よりシカの生息が確認され、生態系への不可逆的な影響が懸念されています。

尾瀬ヶ原ヌタバ(シカが体に付いたダニを落とすため、泥あびした箇所)。
はがされた泥炭層は、回復するまでに20年以上かかります

〈シカはどこから?〉

GPS首輪を装着

尾瀬国立公園では、2008年よりシカの行動を把握するため、GPS首輪によるシカの追跡調査を実施してきました。GPS追跡のデータ解析により、日光(足尾方面、男体山方面)と尾瀬を季節ごとに行き来することが解明されてきています。また、個体群が季節移動の際に集中的に「通過する箇所」も、追跡データより分かってきました。

シカは毎年3~5月中旬にかけて、日光方面より30㎞離れた尾瀬に群れでやってきます。また10月中旬から12月中旬には、尾瀬を出発して日光方面に戻る習性があります。季節移動経路は国道401号線、丸沼周辺であることが分かってきたので、近年、シカの捕獲とともに、要所にシカ柵の設置を行い、尾瀬のシカの影響排除に取り組んでいます。

③外来植物の繁茂

「尾瀬の外来植物広がる 第4次学術調査で在来種絶滅の恐れ」。この見出しは、2018年1月11日付全国紙の表題です。学術調査団の報告会において研究者から、尾瀬の特別保護区内に、ヨーロッパ原産の多年草「コテングクワガタ」などの外来種植物が広がっていることが発表されました。

コテングクワガタは全ての山小屋周辺で生育が確認され、その株数は在来種であるテングクワガタの10倍以上あり、一部では二つの種が交雑していたそうです。「山小屋への物資や工事用資材搬送の際に運び込まれた可能性が高い」と指摘され、学術調査団から「外来種と混じり合うことで、在来の純粋種が絶滅する恐れがある」との驚きの報告でした。

「尾瀬を守る会」の加盟団体である尾瀬自然保護ネットワークの毎年の調査で確認された外来種は、オランダガラシ(アブラナ科/欧州産)ほか30種を超え、また研究者より至仏山の山頂でセイヨウタンポポの報告まであります。

尾瀬の植物相の文献には、外来種侵入に対し対応策を急ぐよう、たびたび警告がなされていますが、今ではもう手の施しようがないほど、尾瀬の湿原奥深くまで侵入を許し、拡散かつ群生化している有様です。

群生するコテングクワガタ
ミズバショウの湿原を埋めるオランダガラシ(大きな葉がミズバショウ)

④昭和の「負の遺産」

尾瀬沼ではハイカーによるゴミの投げ捨て、山小屋による台所や風呂の汚水の垂れ流しが続きました。併せて山小屋は湿原に穴を掘って糞尿のみならず、ビン、缶、ヤカン、乾電池、トタン、ストーブなどありとあらゆる物を埋めていました。山小屋に加えて環境省のレンジャーらも共同で不法投棄をしていた事実は、長蔵小屋裁判の中で判明しています。

檜枝岐村沼尻地区では、不法投棄した廃棄物が地層状となり、地層の高さは1m以上に達していました。不法投棄は山小屋が立地する尾瀬沼、沼尻、見晴、温泉、山の鼻など各所で見つかり、2007年よりボランティアの手を借りながら撤去作業が始まりました。

しかし檜枝岐村沼尻地区では、口先では「完全撤去」と言いつつも、撤去作業は実質2007年のみでした。環境省は、これ以上の撤去作業は植生に多大な影響を与えると理屈を付けて撤去作業自体を止めてしまいました。

 尾瀬の自然は良く守られているという人も多いですが、一歩裏に回れば特別保護地区という国宝級の箇所でさえ、このありさまです。ただうまく人目に付かぬよう隠しているだけです。

不法投棄現場(2020/9/10 撮影)
不法投棄物の撤去作業に携わるボランティアの皆さんと搬出される大量のゴミ(2007/6/27撮影)

⑤新たな難問―国立公園管理政策

また新たな難問も発生しています。これは「国立公園満喫プロジェクト」と称される国立公園管理政策です。環境省が数値目標として、国立公園に1,000万人の外国人観光客誘致のため、国立公園内の特別地域に、分譲型ホテル建設を認めるというものです。対象は全国の国立公園です。

日本政府は2015年11月に、多くの外国人の訪日を期待し観光立国を目指すための「明日の日本を支える観光ビジョン構想会議」を設置しました。この「観光ビジョン構想」に基づき、環境省の「国立公園満喫プロジェクト」は動き出しました。「観光ビジョン構想」は、2020年までに訪日外国人4,000万人(訪日外国人消費金額8兆円)、2030年までに同6,000万人(消費金額15兆円)との観光先進国を目指すものでした。

環境省は,「国立公園満喫プロジェクト」を実行するために、まず国内34国立公園の中から8国立公園を選定し、その公園に対し「自然環境整備交付金」などの補助金を支出しながら、外国人誘致の取り組みを集中的に実施してきました。「国立公園満喫プロジェクト」の最終的な方針は、8国立公園のみではなく「全国展開」を図り、加えて自然公園法等の制度の見直しを謳っています。

環境省は2019年9月、全国の国立公園の特別地域に対して、分譲型ホテル及び企業保養所の設置ができるように改正省令を発出しました。目的は「国立公園満喫プロジェクト」を推進し、実現化するため、つまり1,000万人外国人誘致、リゾートホテル建設のためです。既に尾瀬の山小屋の1つは、この「国立公園満喫プロジェクト」の企業スポンサーに名を連ねています。

また、実効性を高めるために国立公園内のツアーの企画、運営やリゾートホテル誘致等のために、民間(リゾートホテル業界や地元のガイドなど)から正規に環境省職員(利用企画官)として約50名を採用し、各地方環境事務所に配属も行いました。

危惧していたことが起こり始めています。檜枝岐村から申請されていた国有地にある『針葉樹林伐採を、環境省が2021年10月に認可した』との情報が入りました。国宝級の保護地区にある針葉樹林の伐採を環境省が認可する理由は、沼山峠休憩所からの尾瀬沼の眺望をより良くするためのようです。尾瀬の沼山峠周辺は、奥会津森林生態系保護地区であり、緑の回廊という尾瀬の生態系にとって極めて大切な森林です。また、ここは水源涵養保安林にも指定され、国民の大事な水源として守られてきました。

 一般市民や有識者から、「尾瀬の自然を守ろう」との声があがり始めて50年以上の月日が流れました。貴重な自然を残そうという機運が、国はじめ市民にも多少なりとも醸成されてきたかと思っていました。残念ながら国立公園特別地域に対して、時計の針を逆回転するような政策が打ち出されつつあります。

また、本稿で見てきた尾瀬が抱える様々な問題も、容易には解決されません。
「尾瀬を守る会」は、自然保護の観点から、今後とも保護に資する調査や研究を続けていく考えです。

尾瀬を守る会支援活動のあゆみ
年度 活動内容
1986 「尾瀬を守る懇話会」開催、保全対策を検討
1988 「尾瀬を守る懇話会」、尾瀬保護対策を提言
1994 「尾瀬自然観察会」を日本リサイクル運動市民の会と主催
1995 「尾瀬自然観察会」をアジア協会アジア友の会と主催
1997 「尾瀬を守る会」発足
1998 「尾瀬自然保護指導員養成研修会」開催に協力
1999 奥利根自然センターと協力し、尾瀬自然保護指導員の研究会開催
2000 尾瀬自然保護指導員ネットワークが第1回自然保護指導員養成講座を開催
2001 奥利根自然センター・尾瀬自然保護指導員協力し、尾瀬湿原の入山指導講座を実施
2002 群馬県でシンポジウムを開催、「尾瀬保護と適正利用のための提言2002」を決議、岩尾・環境省自然環境局長に提出
2003 尾瀬沼畔ヘリポート建設計画について環境省と話し合い
2004  
2005 尾瀬沼地区キャンプ場の整備計画について、環境省へ全廃を求める申入書を提出、同省関係者と話し合い
奥利根自然センター、群馬県立尾瀬高校と協力、植物学者・故武田久吉氏の尾瀬入山百周年記念行事を沼田市の同校で開催
2006 尾瀬地区のゴミ調査を実施
尾瀬の単独国立公園化に向け埋め立てたゴミの全面撤去などを環境省に要請
2007 尾瀬での携帯電話基地局設置の白紙撤回を尾瀬保護協会等に申入れ。
(尾瀬国立公園誕生)
2008 尾瀬での携帯電話基地局設置計画の白紙撤回指導を環境省・群馬県に申し入れ
2009 会長に大石正光参議院議員・財団法人緑の地球防衛基金会長が就任
2013 第2回尾瀬フォーラム~これからの尾瀬を考える~を福島県郡山市で開催
尾瀬国立公園を生物多様性国家戦略2012-2020のモデル地区へ~尾瀬の過剰なhuman-Impactと管理に関する提言~を環境大臣に提出PDF
2021 「尾瀬の現状を取り巻く課題」を作成